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小町ゆかりの地で江戸時代の紀行家・菅江真澄の足跡をたどった本を出版したい。往時の絵図と見比べて時空を散歩できます!

2017.05.12

雪国の遅い桜が咲いて、散る頃


雪国の遅い桜が咲いて、散る頃となりました。


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お約束通り、本が刷り上りました。


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既に発送作業も済んでおりますので、今週末には皆様のお手元に届くと思われます。


本書『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』は
皆様の御支援のおかげで完成しました。


二百年の時を越えて、
菅江真澄と共に歩く旅路を
楽しんでもらえたら幸いです。

2017.03.30

試作品が出来上がりました

 『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』 

 ついに試作品が出来上がりました。

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 画像総数800枚以上、A4全編フルカラー。
 内容を凝縮し、200ページにまとめました。

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 試作品とはいえ、あとは誤字や表現を修正する程度で、ほぼ完成という状態です。

 本印刷を経た完成は5月10日を予定しています。
 当初は「雪国の遅い桜が咲く頃」としていましたが、桜が散る頃になりそうです。

 なお、最終的にフリーの在庫をいくらか印刷できるようになりましたので、いつまで在庫がもつかはわかりませんが、FAN AKITAのリターン以外でも販売は可能です。


 完成までもうしばらくお待ちください。

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2017.02.23

ご支援ありがとうございました

 おかげさまで目標を大きく越えて達成いたしました。
 ご支援をいただいた皆様、まことにありがとうございました。

 これから編集・試作を経て、雪国の遅い桜が咲くころには完成の予定です。
 今しばらくお待ちいただければ幸いです。

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2017.02.21

本編紹介・第十章「神杉の座はかく語りき」

菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第十章
「神杉の座はかく語りき」



 紀行文『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』を締めくくるのは羽後町の三輪神社です。
 『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』第三巻は羽後町の絵を収録していますが、その大半が三輪神社に関連する絵です。そして他の巻がそうであるように神社や周辺の光景を描いたものだけでなく、三輪神社が所蔵する数々の「宝物」の絵が含まれることが大きな特徴と言えます。


 こちらが今に名高き三輪神社です。

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 真澄が訪れた二百年前と比べると、三輪神社も、神社周辺の光景も、大きく様変わりしました。
 特に「杉宮」の地名の元となった神杉の群立つ林は、今ではすっかり小さくなってしまいました。

 しかし、大鳥居に向かう道も、道脇の水路も、よくよく真澄の絵を照らし合わせれば、かつての姿を思い浮かべることは今でもできます。

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 宝物は様々なものが描かれていますが、「鎗」や「刀」、他には「鏃」など、武具が多い印象です。
 三輪神社は本社の三輪神社の他に八幡神社と須賀神社が合祀されており、長く続いた武士の時代では特に八幡神社が篤く信仰されました。武具が多かったのはそのせいでしょうか。

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 真澄が描いた三輪神社の宝物の中で、残存するものの大部分は現在羽後町歴史民俗資料館に保管されています。
 先ほどの「鎗」と「刀」もあります。

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 ちなみに嘘か真か、この刀は小野寺氏の祖・藤原秀郷が「蜈蚣」を斬った「勢田丸霊剣」として伝えられています。
 普段は資料館の倉庫にしまわれているのですが、幸運にして私は刀身を目にすることができました。

 その姿は、なんと…………


 ……是非、完成した本の中でお確かめください。



 「昔のものが今も変わらず残っていること」だけが歴史なのではありません。
 「変わること」や「無くなること」も、時間の経過の中でひとつの流れとして捉えれば、それもまた紛れもない歴史なのです。

 菅江真澄という人物の視点から私の地元を見つめ直した体験を、多くの人と共有できれば幸いです。
2017.02.19

本編紹介・第九章「馨る女神の御膝元」

菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第九章
「馨る女神の御膝元」



 『雪の出羽路 雄勝郡』第二巻は湯沢市の山田・松岡を中心とした絵図が収録されています。

 その中の一枚は単に「松岡郷」とだけ書かれた山の絵ですが、はたしてこの山が何なのか、ということは問題になりませんでした。

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 松岡といえば「白山」。白山といえば松岡。もはや説明不要の松岡のシンボル、白山の絵です。

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 白山は『雪の出羽路 雄勝郡』の中にも数多くの記述が残され、「菊理媛」の座す山頂の白山神社は今も地域の人から篤く信仰されています。山頂の白山神社は今も地域の人から篤く信仰されています。

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 『雪の出羽路 雄勝郡』には「松岡七不思議」といった実に興味深い物語に加え、松岡の諸相が満遍なく記されており、『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』第二巻の絵もそれに準じます。

 今なお使われている農業用水用の溜池が描かれていたり、

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 使われなくなって久しい古道に佇む「蟾蜍岩」が描かれていたり。

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 この岩がなぜ「蟾蜍」=「ひきがえる」と呼ばれるのかについては、以前訪れた栗駒山での出来事が重要な示唆を与えてくれました。


 また、松岡にはかつて「湯澤銀」と呼ばれる良質な銀を産した「松岡鉱山」があり、それについての言及もなされています。さらに真澄の記述に基づいて松岡鉱山について追った結果、お隣の羽後町で興味深いお話が聴けたことなど、数多くの発見もありました。


 山田・松岡に色濃く残る歴史の面影は、是非、完成した本の中でお確かめください。
2017.02.19

本編紹介・第八章「光ことなる錦秋の宮」

菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第八章
「光ことなる錦秋の宮」



 絵図集『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』第五巻は、目次には小野・横堀・院内といった地名が並んでいるのですが、実際には二枚の絵しか収録されていません。
 一方で、明らかにその中から抜き取られたと思われる、院内銀山の風景を含む八枚の絵が『秋田八景画讃』の名で別に残っています。院内銀山は久保田藩の財政にとって非常に重要な存在であり、真澄は何かしらの政治的配慮から院内銀山の絵を『勝地臨毫』に収録しなかったのだと考えられます。政治的配慮がなされたと考える他の論拠としては、地誌『雪の出羽路 雄勝郡』の中にも院内・院内銀山の記述が一切存在しないということがあります。

 なお、残念ながら小野・横堀といった小野小町ゆかりの地の絵は、秋田八景画讃の中にも残されていません。


 ここでは『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』第五巻に残された二枚の絵について紹介します。


 一枚目は雄勝町泉沢の「泉光院」。

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 なにやら恐ろしい顔(仮面)が描かれています。
 そうです。ここに描かれ、『雪の出羽路 雄勝郡』でも言及されているのはド直球の怪異であり、真澄はまさにその実物を目の当たりにしました。

 この泉光院は神仏分離を経て既になく、今では「泉神社」となっています。

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 そして神社の方に仮面について聞いてみましたが、「そんな話は聞いたことがない」とのこと。
 真澄が目にしたあの仮面は、「燃やしたはずなのに焼け残った」仮面は、歴史の闇の中に姿を消しました。


 ……


 気を取り直して、二枚目は秋ノ宮の風景です。

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 これは視座100%完全一致の場所があります。
 そこからの眺めがこちら。

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 役内川の流れや遠方に臨む神室山の姿は、真澄が訪れた二百年前から何も変わっていません。

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 『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』第五巻は雄勝町を広く扱っている巻なので、紀行文の内容もそれに準じています。かつての繁栄の面影すら完全に森に覆われつつある院内銀山や、どさくさに紛れて小野小町など、雄勝町を語るうえで欠かせない諸相を盛り込みました。

 院内の風景も、

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 昏い口を開ける院内銀山の坑道跡も、

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 小野小町と深草少将の墓と伝わる二ツ森も、

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 菅江真澄と共に巡れば、きっと新たな発見があります。


 異邦人の視点で歩く秋田県雄勝町。


 是非、完成した本の中でお確かめください。
2017.02.17

本編紹介・第七章「風渡る山姫の幽谷」

菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第七章
「風渡る山姫の幽谷」



 湯沢市の最たる観光地はどこだろうと考えると、真っ先に浮かぶのは皆瀬の「小安峡」でしょうか。

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 長い時をかけて刻まれた落差60メートルのV字谷の底には、熱湯が岩の割れ目から勢いよく噴き出すその名もずばり「大噴湯」があり、地球の息吹を直に感じられる場所です。
 小安峡は真澄の関心も大いに引いたようで、大噴湯を含め、複数の絵が残されています。

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 小安峡には能恵姫の物語にも登場する「不動滝」をはじめ、数々の滝があります。
 その中のひとつ、小安峡で最大の落差を誇る「女滝」について、真澄は『雪の出羽路 雄勝郡』の中で以下のように記述し、歌を詠んでいます。


「女瀧あり、裡(うら)見瀧ともいう。高さは三十尋(約55メートル)、糸雨のようにはらはらと落ちるしぶきに、紅葉が散りまじる様は言いようもなく見事である」

山姫の 織りや掛(かく)らし 一反(ひとむら)の 滝の錦の うらをこそ見れ

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 小安峡は紅葉の名所としても有名で、真澄が訪れた時も紅葉の盛りでした。絵からもその様子が見て取れます。
 もちろん、私も紅葉のタイミングを狙いました。

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 真澄は小安峡だけでなく、皆瀬の奥宮山や奥宮神社といった今に残る信仰の地や、点在する湖沼についても絵に描き、伝承を記しました。
 ともすれば有名な観光地である小安峡が注目されがちですが、真澄の足跡を丹念に追うことで、より深く地域の実装に触れることが可能になります。


 是非、完成した本の中でお確かめください。
2017.02.17

本編紹介・第六章「恵み色濃き深碧の淵」

菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第六章
「恵み色濃き深碧の淵」



 真澄が残した『駒形日記』には秋田県東成瀬村を経て栗駒山に到る行程が記され、『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』七巻前半の絵と対応しています。
 真澄の素直な感情が記された日記が残るおかげで、第六章は第三章「彼岸の真白なる静寂」と同様に、実に物語性に富むものとなっています。

 まずは湯沢市皆瀬、皆瀬ダムからの眺めで第六章は始まります。

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 皆瀬から東成瀬村に抜ける山道/林道があり、絵の並びから見て、真澄もその道を通ったものと思われます。


 『駒形日記』は特に真澄の短歌が多く詠まれている印象を受けます。


水寒き 朝川渡り あさつゆを 袖にはらひて 分るおくやま

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 道中真澄は東成瀬の「赤滝」を訪れるのですが、ここでもうひとりのゲストに御登場願いました。

 湯沢市岩崎に伝わる物語の主人公、能恵姫です。

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 岩崎城主の娘に生まれ、数奇な運命によって水神となった能恵姫は、紆余曲折を経て東成瀬の赤滝を住まいとしました。
 真澄と能恵姫、ふたつの物語が赤滝でひとつになります。

 かくして真澄と能恵姫が辿り着いた赤滝を訪れると、紅葉の真っ盛りで実に美しい姿を見せてくれました。


いくちしほ 染る紅葉の 影おちて いといといろこき 赤瀧の水

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 真澄の足跡と能恵姫の軌跡が赤滝で交錯した時、重なり合った歴史と科学と神秘の向こうに、多くのものが見えてきます。



 是非、完成した本の中でお確かめください。
2017.02.14

本編紹介・第五章「雄勝の背骨に麒麟舞う」

 いよいよ終了まで残り十日を切りました。
 引き続き皆様のご支援をよろしくお願いいたします。



 というわけで、毎度おなじみ本編紹介です。

 
菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第五章
「雄勝の背骨に麒麟舞う」



 秋田の山といえば真っ先に鳥海山が浮かぶのは、私が県南住まいだからでしょうか。鳥海山は小学校の校歌の歌詞にも登場していたくらいです。
 でもって、実は湯沢市にも鳥海山があるということを、私は大人になるまで知りませんでした。

 その名も「東鳥海山」。通称「権現山」。
 「雄勝尊」を祀るまさしく「雄勝」地域の背骨であり、真澄も重大な関心をもって記録を残し、さらに標高777メートルという、霊験あらたかな山です。
 第五章では、真澄も訪れた東鳥海山の諸相を巡ります。


 国道13号線を湯沢市から雄勝町に向かう道中、東鳥海山の山容を一望できる場所に一の鳥居があります。鳥居の額には「雄勝宮」とあります。

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 登山道は三関フルーツラインからはじまり、果樹園の中を通っていきます。





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 道中には二の鳥居があります。
 そして傍らには金精様を祀る祠も。

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 真澄は登山道の途中で数枚の絵を残していますが、現在の東鳥海山は鬱蒼とした杉林に覆われ、真澄が見たであろう風景とはだいぶ変わってしまいました。
 真澄が描いたような登山道からの眺望も、残念ながら木々に遮られてほとんど楽しむことはできませんでした。

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 そうこうしているうちに、東鳥海神社に到着しました。
 これは地域登山に参加する形で登った際の写真です。

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 東鳥海神社の境内は草木の侵食を受け、真澄の描いたかつての様相とは様変わりしています。

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 真澄の足跡を伝える標柱も折れるがままです。

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 東鳥海神社を越えて山頂付近になると見晴らしもよくなり、山頂では真澄が「四方の眺望のところあり」と書いたように、湯沢から稲川の一帯を見晴らすことができました。
 なぜ東鳥海山が「雄勝尊」の座所となったのか、その理由がわかる気がします。

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 なお東鳥海山の麓には立派な遥拝殿があり、こちらが実質的な東鳥海神社として機能しているようです。

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 真澄は『雪の出羽路 雄勝郡』の中で、東鳥海山や雄勝郡の沿革について非常に多くの考察と記述を残しています。
 文献学的な論考をすることは必ずしもこの紀行文の主旨ではありませんが、私も可能な範囲で、あくまでも真澄の記述に沿いながら種々の考察を試みています。

 真澄と巡る、「雄勝郡」開闢の物語。


 是非、完成した本の中でお確かめください。
2017.02.06

本編紹介・第四章「湯澤の山の上と下」

菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第四章
「湯澤の山の上と下」



 第一章から第三章まで栗駒山・栩湯・川原毛地獄と見てきましたが、真澄が描いたものはなにも景勝地だけではありません。特定の景観をピンポイントに描くだけではなく、より広い範囲を俯瞰したような絵も多く描いています。
 ただ、それらの絵は広範囲を扱っているだけに「どこから、どのように」描いたのか特定するのが難しく、真澄の足跡を辿るのがかえって難しいという側面もあります。

 第四章では『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』一巻から湯沢市の山谷~稲川地域~宇留院内峠の一帯を描いた絵を取り上げ、当時の面影を探しに行きます。



 まずはこの絵から。

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 そのものずばり「湯澤」と題された絵ですが、実はどこから描かれた絵なのかいきなり定かではありません。
 平野、川、遠方の山々。一応、湯沢市役所の隣にある「お城山」――湯沢城址の高台から眺めた景色が雰囲気的には似ているものの、確証はありません。

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 湯沢城址の麓には日本名水百選に選ばれた「力水」が湧いており、隣接する公園内には真澄の歌碑が立てられています。

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たのしさよ 千代もかはらず くみかはす
湯澤の里の 春の盞


 なんとも和やかな雰囲気の歌ですが、実際は『小野のふるさと』の中で真澄が湯沢の新年の酒席に顔を出した際、酒を強くすすめられて断った際に「俺の酒が飲めないなら即興で歌でも詠め」と言われ、出来上がった歌です。
 人の酒癖は二百年以上も前から…………うーむ。


 湯沢から山谷峠を越えて稲川に入ります。
 ここでも何枚か絵を描いていますが、ハイライトはやはりこの絵でしょうか。

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 ちなみに稲川といえば、日本三大うどんとして名高い「稲庭うどん」の産地でもあります。
 そして真澄もまた、『雪の出羽路 雄勝郡』の中で稲庭うどんに言及しています。
 稲庭うどんは当時から全国的に有名だったようで、真澄は当時知られていたこのような歌を紹介しています。


どなたでも いなにはあらぬ このうどん

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 うーん、うまい!


 その後は稲川から宇留院内峠を越えて、湯沢の須川地域にやってきます。
 広範囲を描いた絵が多く、描かれた場所や事物を辿るのは大変でしたが、やはり実際に歩いてみると新たな発見が数多ありました。

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 第四章で扱う絵はどれも派手さはありませんが、地誌『雪の出羽路 雄勝郡』や日記『小野のふるさと』の記述も丁寧に追うことで、足取りの中に当時の面影はじゅうぶんに感じられます。


 是非、完成した本の中でお確かめください。

2017.02.02

本編紹介・第三章「彼岸の真白なる静寂」

菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第三章
「彼岸の真白なる静寂」



 真澄は地誌『雪の出羽路 雄勝郡』と絵図集『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』のほかにもいくつか雄勝郡に関する記録を残しています。
 なかでも『高松日記』は湯沢市の木地山高原一帯を訪ね歩いた様子が克明に記録されており、地誌として淡泊な記述が支配的な『雪の出羽路』とはうってかわって、真澄の素直な感情が表れています。

 真澄は文化11年(西暦1814年)の晩秋、今日の高松地区を訪れました。



 さて、湯沢市には三途の川があります。

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 三途の川の向こう側には、地獄――川原毛地獄があります。

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 残念ながら天国はありませんが、歴史ある泥湯温泉で極楽気分は味わえます。

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 日本三大霊地の一つに数えられる川原毛地獄という場所の為せる業か、いつもの行脚であれば「真澄と歩く」という心持ちだったのが、今回ばかりは「真澄に成る」という感覚を味わいました。
 絵に描かれた場所が明確で、なおかつ『高松日記』という詳細な記述が残っているおかげで、この章は全十篇の中でも特に真澄を身近に感じられるものに仕上がりました。

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 真っ白に焼けた静寂の中で真澄は何を見たのか。



 是非、完成した本の中でお確かめください。

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2017.02.01

本編紹介・第二章「妙産の湯、深山に湧く」

菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第二章
「妙産の湯、深山に湧く」

 
 『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』の四巻は今日の皆瀬・小安峡の絵図集となっています。
 その中には「小安峡大噴湯」や「不動滝」といった観光名所も描かれているのですが、一見しただけでは場所がわからない絵もありました。

 こちらの三枚の絵をご覧ください。
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 絵の題には「橡湯」とあります。
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 なんらかの温泉と、そこに至るまでの道を描いた絵だと思われますが、現在の湯沢市には「橡湯」という温泉はありません。
 はて、コレはいったい何だろうと思いましたが、「トチユ」と読むことから、「橡湯」とは「栩湯」のことなのではないか、と思い当たりました。
 そこで「栩湯」で調べてみると、小安の山中の奥深く、今から数十年も前に営業を終えた「栩湯」という名の温泉があったのです。真澄の絵のおかげで、知りもしなかったであろう郷土の温泉が私の前に姿を顕しました。

 そうとわかれば、早速現地に突撃です。
 ほとんどの人の記憶から栩湯の存在が消え去った現在、今でも場所を知る地元の方に案内をお願いし、平成26年の晩秋と27年の春の二度にわたり、栩湯を訪れました。


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 絶景に次ぐ絶景、誰一人知るもののいない歴史的発見を経て、深山の懐に足を踏み入れると、そこでは今なお温泉が湧き、かつての湯治場の痕跡がありました。

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 そして……





 !?

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 いかにして栩湯が「妙産の湯」と呼ばれるに至ったのか。
 


 是非、完成した本の中でお確かめください。

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2017.01.20

本編紹介・第一章「栗駒の心臓を御室に見る」


菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第一章
「栗駒の心臓を御室に見る」


 時を遡ること2014年7月、紀行文「菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡」の第一歩を踏み出しました。
 この時はまだ、「真澄が絵に描いた場所を全部巡ってやろう」という想いのもと、なんとなく行程を面白くまとめてみよう程度の考えしかありませんでした。この第一章を紀行文として書き上げたことが、後に続く九篇すべての出発点となり、また「どのように書くか」という雛形となりました。

 さて、ひとまず以下の三枚の絵をご覧ください。

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 これらはいずれも絵図集「勝地臨毫 出羽国雄勝郡」の七巻(最終巻)に描かれたもので、一枚目には「駒形山」、二枚目には「駒ヶ嶽」、三枚目には「大日嶽」という記述があります。
 当初、私はそれぞれまったく別の山を描いた絵なのだと考えました。しかし、雄勝郡には「駒形山」も「駒ヶ岳」も「大日嶽」もありません。この時の私は真澄の足跡をほとんど把握しておらず、さらに「山には多くの別名がある」という発想を持ち合わせていなかったため、「そもそもどこを/何を描いた絵なのか」すらわからないという有様でした。

 二重三重の無知の闇を越えて、ようやく私はこれらの絵がすべて今日の「栗駒山」を描いたものだと気づきました。
 きっかけは二枚目の絵の「酢河ノ温湯」という記述で、これはもしや今日の「須川温泉」のことではないか、ということはこれらの絵はすべて今日の「栗駒山」を描いたものではないか、と思い至ったわけです。ロクに文献も読まず、真澄研究の先達の皆様からすれば失笑物の経緯でしょう。とはいえ、とにもかくにも、この気付きは私の真澄理解にとって決定的なものとなりました。

 今日の須川高原温泉。
 まさしく、真澄の描いた温泉です。
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 私は栗駒山に何度か登ったことはありましたが、基本的に須川高原の登り口から最短ルートで山頂に行って帰ってきただけで、栗駒山に関してはまったくの無知でした。真澄の絵が栗駒山を描いたものだとはわかっても、須川温泉を除き、具体的にどの場所を描いたものかまではまるで見当が付きませんでした。
 湯沢市の川原毛地獄や小安峡など、はじめから場所を特定できる絵ではなく、せっかくなら、新たな発見が得られる絵を最初に選びたい。
 こうして、「菅江真澄と歩く」の最初の目的地は栗駒山になりました。


 時に、平成26年。
 真澄が雄勝郡を訪れ、「雪の出羽路 雄勝郡」と「勝地臨毫 出羽国雄勝郡」を記したのは文化11年。
 真澄の来訪からちょうど二百年。季節さえほぼ同じ。
 あまりのタイミングの良さに言い知れぬ感覚を抱きながら、「二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡」を目の当たりにするために、栗駒山――またの名を駒形山/駒ヶ岳/大日嶽――に足を踏み入れました。

 栗駒山を知り尽くした方々に賛同を取り付けて同行してもらい、目指すは「勝地臨毫 出羽国雄勝郡」の最後を飾る絵に描かれた「御室」です。

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 「御室」に行き着く過程で何を見たのか、なぜ御室を「栗駒の心臓」なのか。



 是非、完成した本の中でお確かめください。

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2017.01.13

目標金額を達成しました

皆様のご支援のおかげで、期間の半分を残して目標金額を達成することができ感謝に堪えません。
今後の支援は冊子の品質向上や印刷冊数増上に充てる予定です。

なお、現状では出資者の皆様への配布後に残る本の冊数は非常に少数となるため、後から欲しいと言われても手に入らない可能性が大です。
確実に本をお届けするためにも、本の内容に御興味のある方は、「予約購入」の心意気でご引き続き支援をいただければ幸いです。

これから残りの期間で内容の紹介をしていきますので、よろしくお願いいたします。

プロジェクトオーナー紹介

大学を卒業して東京で働いた後、故郷の秋田にUターン。現在は地元でフリーライターとして活動中。創作文芸、郷土研究、オーディオ評論を三本柱として著述業を行っている。秋田県湯沢市在住。

現在の支援状況

地域|
秋田県
現在集まっている金額
434,000円
目標金額
300,000円
144%
サポーター
59人
終了しました

支援いただいた方への特典

真澄の足跡2,000円コース

2,000円 の支援で
  • 御礼状
  • 本の後書きにお名前掲載
支援口数 | 2口
真澄の足跡5,000円コース

5,000円 の支援で
  • 本1冊贈呈(A4判、240ページ予定)
  • 本の後書きにお名前掲載
  • 御礼状
支援口数 | 61口
真澄の足跡10,000円Aコース

10,000円 の支援で
  • 佐藤養助商店・稲庭うどん(80グラム・5束)
  • 本1冊贈呈(A4判、240ページ予定)
  • 本の後書きにお名前掲載
  • 御礼状
支援口数 | 3口
真澄の足跡10,000円Bコース

10,000円 の支援で
  • 温泉利用券&食事券(2,000円相当※)
  • 本1冊贈呈(A4判、240ページ予定)
  • 本の後書きにお名前掲載
  • 御礼状  
  • ※温泉利用券&食事券は須川高原温泉、大湯温泉阿部旅館、泥湯温泉奥山旅館の3温泉施設から1カ所を選んでいただきます。その旅館の専用利用券または招待状を送ります。
支援口数 | 7口
真澄の足跡15,000円コース

15,000円 の支援で
  • 両関酒造・純米大吟醸「雪月花」(720ミリ)
  • 本1冊贈呈(A4判、240ページ予定)
  • 本の後書きにお名前掲載
  • 御礼状
支援口数 | 3口
真澄の足跡30,000円コース

30,000円 の支援で
  • 両関酒造・純米大吟醸「雪月花」(720ミリ)
  • 佐藤養助商店・稲庭うどん(80グラム・5束)
  • 本1冊贈呈(A4判、240ページ予定)
  • 本の後書きにお名前掲載
  • 温泉利用券&食事券(2,000円相当※)
  • 御礼状
  • ※温泉利用券&食事券は須川高原温泉、大湯温泉阿部旅館、泥湯温泉奥山旅館の3温泉施設から1カ所を選んでいただきます。その旅館の専用利用券または招待状を送ります。
支援口数 | 0口
真澄の足跡50,000円コース

50,000円 の支援で
  • 本1冊贈呈(A4判、240ページ予定)
  • 本の後書きにお名前掲載
  • 温泉宿泊券(15,000円相当※)
  • 御礼状
  • ※温泉宿泊券は須川高原温泉、大湯温泉阿部旅館、鷹の湯温泉の3温泉施設から1カ所を選んでいただきます。その旅館の専用利用券または招待状を送ります。
支援口数 | 0口
真澄の足跡100,000円コース

100,000円 の支援で
  • 本1冊贈呈(A4判、240ページ予定)
  • 本の後書きにお名前掲載
  • 温泉ペア宿泊券(30,000円相当※)
  • 御礼状
  • ※温泉宿泊券は須川高原温泉、大湯温泉阿部旅館、鷹の湯温泉の3温泉施設から1カ所を選んでいただきます。その旅館の専用利用券または招待状を送ります。
支援口数 | 0口

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